全身全霊で物語の世界に没入できたあの頃に戻りたい。
こんにちは。みょうがです。
最近思うことがあります。
それは、昔に比べて、没入するように本を読むことができなくなくなったな、と。
中学生、高校生の頃は、それはもう、朝から晩まで一日中ずっと本を読むことができました。
途中で話しかけられても聞こえないくらいに物語の世界にのめり込む、あの感じ。
親に無理やり、読書を中断させられて「邪魔しないでよ!」ってキレるほどでした。
あの頃は、本の世界にどっぷり浸かって、五感をフル稼働して、全身全霊で物語を味わうことができたのです。
ですが、社会人になってから、あの感覚を味わうことがなくなりました。
読書をしないわけではないんです。しかし、圧倒的に読書の時間は減ってるし、没入感を感じることがなくなりました。
それがとても寂しい。
読書に没入できなくなった原因を考えてみました。
いろいろ考えられるけど、集約すると以下の2つかなと思います。
・単純に体力が落ちている。
・考えなければいけないことが増えた。
読書って意外と体力必要ですよね?
ホントに社会人になって運動しなくなりました。
中学生の頃は運動部に所属してて、朝から晩までずっっっと運動してました。
部活もやって、さらに学校外のクラブでも運動して、それに加えて学習塾まで通ってました。
社会人の今の私よりハードな生活を送っていました。だけど、そんなにツラくなかった。むしろ楽しかった。あれだけ運動してもも、何故か授業中に眠くなることもなかった。
社会人になった今はたいして運動してないし、大した仕事をしていないのに、仕事中よく眠くなります。(何故なのか)
あの頃は、本も狂ったように読むことができた。
全方面に全力で取り組むことができた。
あの頃の私は無敵でした。
私は、あの物語へ没入する感じが大好きです。
現実世界にいるときよりも、本の世界にのめり込んでいる時の方が、生きているって感じがするのです。
社会人になってからは、それを味わうことができていません。それに、なんだか心が死んでいるな、と感じることが多いような気がします。
単純に、考えなければいけないことが増えたからだと思います。
将来のこと、お金のこと、結婚のこと、親の老後のこと。
しかし、この「その考えなければいけないこと」は世間から植え付けられた考えに過ぎないのでは?と感じています。
考えなければいけないことっていうのは、社会でうまくやっていくために必要なことです。
しかし、その社会のあり方、価値観は、この世界を裏で操っているお偉いさんたちが、市民をできる限りコントロールしやすくするために広めている考え方なのではないでしょうか?
それを知っていても受け入れること、それが大人になるということなのでしょうか?
本当にこのままでいいの?
本の世界にどっぷりのめり込むことができなくなった、ということに限らず、社会人になってから、いろいろなことを諦めて犠牲にしている気がします。
世間にいいように操られて、好きなことをできなくなるって悔しくない?
本当に今はできないことなの?
昔できたことなら、今もできるんじゃない?
読書について書いていたはずなのに、いつの間にか人生について語っていました。
現状をすぐに変えることは難しいことは、これまでの人生でよくわかっています
小さな行動を積み上げていくことが大切ですよね。
あの物語への没入感をもう一度味わうため、とりあえず、運動から始めようと思う。
ちょっとこれからランニングでもしてこようかな。